オルレアンから来た少女 三章-5 作・風間銀灰

5 事件のおかげで、この頃すっかり昼夜を問わず関連する報道を見る習慣がついてしまった。そんな私を見て、妻が心配そうに言った。 「なんとかしたい気持ちはわかるけど…あまり無茶はしないでね。テレビの見過ぎで体を壊したら悲しいわ」 確かにそうだ。素人でできることはそうないし、私ももう決して若くも体力もない。だが…私は突き落とされるところを見てしまった。放っておくわけにはいかない。たとえ被害者がどんな人間であったとしても。 「すまないな、心配かけて」 私が謝ると、妻は笑って首を振った。 「ほどほどならいいのよ。次回作のネタにもなるしね」 さすがは敏腕編集者である。私は苦笑した。 「被害者が殺されるに価する人間だったとしても…だから放っていいとは思えない…」 私の呟きに、妻はうなずく。 「わかるわ。あなたは、犯人のことを考えているのね。殺されるに価する、価しないの線引きを勝手にしてしまった犯人が、初めは正義のためにしていたはずのことを、次第に暴走させていく怖さを…考えてるのでしょ」 やはり彼女はわかってくれていた。思わず顔をほころばせると、妻は少し照れくさそうに話題を変えた。 「…そうそう、話全然違うけど、あなたのジャケット、クリーニングに出そうとしたら、ポケットに定食屋のクーポンが入ってたわよ。気を付けてね」 忘れていた。こちらはこんないささか情けない理由で照れ笑いをし、クーポンを受け取った。 だが、ここで何かが頭の片隅に引っかかった。…ポケット…。 「そうか…

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オルレアンから来た少女 三章-4 作・風間銀灰

4 二日後のことである。出勤前にコーヒーをすすりながら寝ぼけまなこでニュースを見ていた私を、一気に覚醒させるほど驚いた出来事が起こった。 季節のお花情報などとのんびりした特集をやっているニュース画面の上部に、速報のテロップが流れたのだ。 「〇〇で男性が刺殺された事件で、府警は容疑者の女を逮捕」 つまり、連続殺人の三番目の事件の容疑者が捕まった、ということだった。その容疑者が誰なのか、他の二件にも関係しているのか等、それはこれからの調べ待ちなのだろう。 私は後ろ髪を引かれる思いで出勤し、電車内の扉の上で流れるニュースや、携帯電話のネットサービス等々を食い入るように見たが、結局速報以上に詳しいことはわからなかった。 学校に着くと、やはりかなりの学生がその話題を振ってきた。 「犯人逮捕ってコトは、今回は名探偵センセの出番なしっスね~。…あ、でも、真犯人は別にいるとかあ?」 理工学部のくせにこれを言うためだけにわざわざ文学部の校舎まで来たのか。そんな鳴戸に私が呆れていると、そこへこちらは次の私の授業を受講している田沢もやってきた。 「現実は小説のようにはいかなくてよ、鳴戸君。…まあこれで先生も肩の荷が下りたんじゃありませんこと?」 まあ確かに彼女の言う通りなのだが…。しかし私には、どうもそうあっさりと解決するとは楽観できなかった。 その後連日のようにニュースやワイドショーはこの事件のことを取り上げ、その結果判明したのは次のようなことだった。 容疑者は二十代…

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オルレアンから来た少女 三章-3 作・風間銀灰

3 その掲示板をさっそく見てみると、楠の言葉どおり、ストーカーもしくはDV被害に遭った女性、またはその家族や友人たちによる書きこみがされていた。 胸の痛むような様々な体験談の他に、投稿者どうしの感情的なやりとりが目に付く他は、特に何か変わったところがあるとは思えなかった。 「オルレアンから来た少女…。男にコワイめにあった女の子は、ヒーローではなくヒロインに助けを求める、ってコトですかね…」しんみりと大海原が呟いた。「あっ、オフ会やろうって書きこみもありますね。だいぶ前のですけど」 「それで楠、香音さんはこの掲示板のことは知っているのか?」 ふと私は尋ねた。 「えー?さあ、特に教えた覚えはないですけど~?役に立ちそうもなかったですし」 「そうか…」 私は暫し考え込んだ。必ずしもこの掲示板でなくてもよいが、例えばネットを介して知り合った者どうしが、協力して今回の連続殺人を引き起こしている、という可能性もあるのではないか。 しかし、それを証明するには、やはり被害者の共通点を見つけなければなるまい。そして、現時点でわかっている限りでは、被害者は住所も年齢も性別もばらばらで、共通点はなさそうなのだ。 「センセー、被害者について詳しく調べた方が早くないですかー。聖女とかなんとか調べるより」 見越したように大海原に先に言われてしまった。言われなくてもわかっていると言うに。だが…気になるのだ。聖女─ジャンヌ・ダルク?オルレアンの少女─。 第一の被害者は香音さんのストーカー…

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オルレアンから来た少女 三章-2

2 間もなく、ノートパソコンを覗きこんでいた大海原の、げげっ、と小さく呟く声がした。 「センセー、こりゃキツイですよ。三万件以上ヒットしましたよ、このキーワードで」 範囲が曖昧だから、おそらくそうなるだろうとは思っていた。私は大海原に言った。 「いちいち全部見る必要はない。トップページに来ているサイトのテーマをいくつか教えてくれ」 「ほーい。…やっぱり例の事件のが多いですね。あとは、聖母マリア、ジャンヌ・ダルク、聖母子、ってとこです」 私はたいしたものがない自分の資料を放り出して、ノートパソコンの方を見に行った。そして、もう一つふと思いついたことを言ってみた。 「『聖女 神の子』に『隣人』も加えて検索してみてくれ」 「ああ、二番目のカードにありましたね。…ん~、だいぶ減りましたけど、それでも何千件もありますよ~。全て事件絡みキーワードだから尚更ですね」 「そうか…」 もともと期待していたわけではなかった。犯人がものすごい愚か者でもない限り、そうそう簡単に事件と結びつくサイトに関係しているとは思えない。私はただ、「聖女」と言えば連想されるのは何か知りたかったのだ。 「聖女」が何かわかれば、おそらく犯人の手がかりに結びつく。まあこれまた雲をつかむような話だが。 犯人は世間に向けメッセージを投げかけているのだから、当然世間一般にわかりやすい「聖女」をイメージしていると思っていいだろう。トップページに出てきたのはマリアとジャンヌ・ダルク。果たしてどちらをイメージした…

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オルレアンから来た少女 三章-1 作・風間銀灰

三章 聖女 1 ● 選ばれた少女たちよ、そなたらの働きは必ず神に認められ、聖女の列へと加えられるであろう。 ● 新しい週が始まった。つまりは月曜日ということだ。今日までの課題レポートを、いったい何人の学生が「期日を延ばしてくれ」と泣きついてくるかと考えながら教室に向かった。余談だがその課題は英文翻訳の授業のもので、ヘミングウェイのある短編を自分の言葉で訳してくるという内容である。 しかし、レポートの締め切りを一瞬忘れさせる出来事が教室で待っていた。携帯電話でニュースを見ていた学生が、私を呼び止めて言ったのだ。 「先生、また連続殺人の犠牲者がっ。ただ、今度は関西の方でみたいです」 たった今入ったニュースらしい。朝刊にはそのような記事は載っていなかった。私はそれを聞いてかなり動揺したが、携帯をひったくって読みたいのをこらえてこう答えた。 「ニュースをありがとう。だがもう授業だから、携帯はしまいなさい。そしてレポートを提出するように」 するとその学生はうへえ、と時代劇の登場人物のような声を出してあわてふためいた。どうやらレポートが間に合わなかったので、それをごまかそうとこの話題を振ったらしい。またもややれやれだ。 昼休み、学校すぐ側の定食屋でサバ味噌煮定食を食べながらテレビを見て、そのニュースの詳しい内容を確認した。 関西地方のとある繁華街の路地裏で、若い男性が背中を刺されて死んでいた。現場にはカードが落ちていて、そ…

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オルレアンから来た少女 二章-5 作・風間銀灰

5 そもそも香音さんが彼と知り合ったきっかけも、彼が店の常連だったというところからだそうだ。残念ながら、これ以上聞けることはなさそうだった。 ひと通りの話が途切れると、楠が急に立ち上がって言った。 「じゃ、お話済んだトコで、ケーキタイムにしましょ~。香音ちゃん、美音ちゃん、ここのケーキ、けっこうおいしーから、いっぱい食べてって~。もちろん先生のおごりですぅ♪」 それを聞いて、今日初めて香音さんは笑った。妹の美音さんも嬉しそうに立ち上がった。 「やったあ、ごちそうさまですっ。ほらほら、お姉ちゃん、ケーキ見に行こうよっ」 「美音ったら…。失礼ばっかりで、すみません」 失礼なのはどちらかと言えば楠たち学生の方である。全員我も我もと立ち上がり、ケーキコーナーへ遠慮なく向かっていったのだ。おまえら、自分の分は自分で払えっ。呼んでないのだからそもそもっ。 客人の前でそのようなセリフを吐けるわけもなく、やがて我々はたくさんのケーキと、私のヤセこけた財布と共にテーブルに戻ってきた。給料日が遠いのだ。勘弁してほしい、まったく。 席に着こうとして、香音さんの椅子の下に、ハンカチが落ちているのを見つけた。タオル地の、濃い目のピンクだった。 「ハンカチ落とされましたよ」 と、私が香音さんにそれを渡すと、横で美音さんが笑った。 「あ、これあたしのです。すみません」 そう言って彼女はハンカチを取ると、また笑って言葉を続けた。 「お姉ちゃん、ピンクは絶対身に着けないんです。モノトーン…

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オルレアンから来た少女 二章-4 作・風間銀灰

4 「初めは、とても優しい人だったんです。優しい人だと思わされたのかもしれませんけど。それが、だんだん…」 香音さんのアルバイトに難色を示すのはまだ理解できる範囲だったのが、彼女が誰かと話したり、果ては帰宅することにさえ不機嫌を示すようになったそうだ。自分の側から片時も離したくない。愛情表現にしても、度が過ぎていた。 他にも様々なことがあって息苦しさを覚えていた香音さんだったが、ついに決定的な出来事が起きた。彼からのプレゼントの中に、盗聴機が仕掛けられていることが判明したのだ。 それで香音さんは彼と別れた。だが、そこからが恐怖の始まりだった。 「あとは楠さんがお話ししておいてくださった通りです…。お店に来たり、電話を毎日してきたり。特になんてことがなくても、これから何か怖いことが起こるんだ、そう思わせるような彼のあの目付き、うまく説明できないんですけど…」 電話も手紙も他愛もないものだったし、店に来る時も何もおかしな事はなかったが、その「うまく説明できない」恐怖の状況は、次第に香音さんを追い詰めていった。その矢先に、事件は起きた。 「彼があんな状態になって…。でもそれで私、また別の意味で怖くなってしまって…。確かにやったのは私じゃないですけど、でも…死んでくれたら、って思ってしまったことは正直あります。バカげてるとは思うのですけど、そう願ってしまったから彼が、って…」 香音さんは目に涙をためてうつむいた。私は、月並みなセリフを言うことしかできなかった。 「あな…

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オルレアンから来た少女 二章-3 作・風間銀灰

3 そして約束の週末がやってきた。平日とはうってかわってがらんとした学食で、私と、そして招かれざる学生どもは、楠が香音さんを連れてくるのを待っていた。 「香音さん、どんな娘(こ)っスかね~。楽しみっス」 鳴戸が鼻の下を伸ばしてでれでれしていると、すかさず田沢の辛辣な言葉が発せられた。 「本当に鳴戸君は幸せな方ですこと。メイド喫茶でお仕事されてる女性が来る、それだけでテンション上がるのですもの」 「俺もテンション上がってま~す」と、これは大海原。 「田沢さん、ひょっとして妬いてくれてるっスか?いやあ、かねがね田沢さんはツンデレだと思ってたっスよ」 鳴戸の言葉に、田沢は口元をひくつかせて呟いた。 「…超越君、お得意の空手でこのお二人に軽くお仕置きして頂けませんこと」 超越が返事をする前に、向こうから楠の独特な声が聞こえてきた。 「先生~、みなさぁん、お待たせ致しました~。香音ちゃん連れてきましたよ~」 声の方を見ると、楠の他に、若くて可愛らしい女性が何故か二人居た。 「香音ちゃんと、香音ちゃんの妹の美音(みね)ちゃんですぅ」 香音さんは、やや小柄で色白に大きな黒い瞳の、どことなく儚さを感じさせる少女だった。モノトーンだが女性らしい服装のせいか、なんとなく聖らかな修道女を思わせた。 妹さんの方は、香音さんより背が高く、元気で生き生きとしていて、明るい色のシャツやミニスカートを颯爽と着こなしているのが、姉との対照を感じさせた。 「小池香音と申します。今日はお時間…

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オルレアンから来た少女 二章-2 作・風間銀灰

2 とりあえず今週末、当初の予定通り香音さんに会って話を聞くことになった。被害者のことをよく知るためだ。 「場所は~、うちの店でいいですかあ?」 「断るっ」 楠の提案を私は即座に却下した。何が悲しくていい歳のおっさんが、メイド喫茶に行ったうえそこでストーカーやら殺人やらの話を聞かされなくてはならないのか。それだけは絶対に避けたい。 「…せめてうちの学食にしてくれ」 私がそう言うと、大海原がすかさず突っ込みを入れた。 「あ~、センセー、学食だと安くあがるって思ったんじゃないですか~」 「うるさい。安月給なんだ、悪いか。…そもそもなんで、相談を受ける側の私がお茶代を出す話にいつの間になっている」 「年長者への尊敬っスよ~」 そう言う鳴戸、年長者への尊敬が全く感じられない。 「そーいえば、話を聞いた超越(こしごえ)クンも、ぜひ力になりたいって言ってたっスよ~」 油断していたら、ここでまた一人厄介な人物が加わってしまった。超越というのは、史学科の学生で、やはりクラシックミステリ史を受けている。しかし彼は、ミステリマニアというより武道系マニアで、空手の腕前は相当なものらしい。だから一見体育会系まとも人間かと思いきや…この男も、やはりどこか妙なのである。 類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。…ではそんな連中に囲まれている私は、いったい何なのか、あまり深く考えたくはないが。 「じゃ、先生、よろしくですぅ」 連中が去って、私はやれやれとようやく新聞を広げた。今日は朝から何…

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オルレアンから来た少女 二章-1 作・風間銀灰

二章 メッセージ・カード 1 ● 恐れるな。そなたらが始末する獣たちは、死ぬことで神の意志を伝える、崇高な犠牲へと昇華するのだ。 ● 私が遭遇した駅での事件は、思いもかけぬ展開となった。通常の鉄道事故なら、新聞の社会欄に小さな記事が載る程度であったろう。だが、被害者のポケットに入っていた一枚の紙切れが、全ての事情を変えてしまった。そこには、このように書かれていたそうだ。 コノ者ハ、聖女ヲ汚ソウトシタ。 この紙切れがあったことで、通り魔的事件だったものが、更に禍々しい様相を増した。 よって、新聞社各社は、この事件を大きく取り上げた。私のところにもどうやって調べたのか何人か記者が来たが、大したことは言えないと断った。…どうせ断っても、勝手な記事になるのだろうが。 そして、残念なことにとでも言おうか、結論から言えば、被害者はやはり、香音さんのストーカーだった。田中宏一、二十五歳、職業フリーター。 私や楠が、香音さんのことを警察に言うべきか悩む前に、警察は彼女のことを調べ、聴取していた。しかし幸いにも、彼女には強固ではないがアリバイがあった。同居している妹さんが、確かに家に居たと証言したのだ。 「香音ちゃん、関係なさそうで、とりあえずよかったですぅ」 楠は心底ほっとした顔で言った。 「でもかわいそうに、しばらくお店休みますって。ショックが大きすぎたんですよ~。…てゆーか、ちょっとヒドクないですか?香音ちゃんが疑われ…

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