冬桜 十一の二・三 作・風間銀灰

娘に甘藷を渡すと、思いのほか喜んだ。 「じゃ、先におやつにしようよ」 そう言って彼女は茶を淹れ、祖父と男の前に出した。そして、きっちり三等分した芋も運んできた。 「知ってる?皮ごと食べると胸焼けしないんだって」 おいしそうに食べる娘を、男も彼女の祖父も、嬉しそうに眺めた。その視線に気付いて、彼女は顔を赤らめて唇を尖らせた。 「見てないで、二人とも食べてよっ」 男はようやくひとかけ…

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冬桜 十一の三(続きその一) 作・風間銀灰

「兄を見送りに往復で通ったが。それがどうかしたかな?」 すると、少年たちは嬉しそうに顔を見合せて、口々に呟いた。 「やっぱり、先生だったんだ」 「話を聞いたときからそうじゃないかって思ってたけど」 男が訳がわからず困惑していると、先ほどの少年が続けて説明した。 「うちで働いている者が何人か、四、五日前に浅草寺参拝に行って、そこで、辻斬り紛い の酔っ払いを、峰打ちで鮮やかに仕留…

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冬桜 十一の三(続き) 作・風間銀灰

「私はあの酔漢に、己の嫌な部分を見て、気持ちの上で斬った。…人助けのためではなかったのだ。それは、決して褒められる行為ではない」 全員が沈黙した。彼らは今、真剣な目で男を見つめている。 「己にもある弱さを、あの男に示されて、怒りを覚えてしまったのだ。…こんな私にものを説く資格はないが、君たちには私のような弱い人間になってほしくはない。…すまなかったな」 しばしの沈黙の後、先ほど…

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冬桜 十一の四 作・風間銀灰

少年たちが帰った後、友人が訪ねてきた。 「今日は客人の多い日だな。仙十郎、あの子たちに会わなかったか?」 「ああ、会ったぞ。明日休んだりしないように釘を差しておいた」 と、彼は笑って答え、男の顔を見た。 「子供たちが言っていたぞ。読本の主人公のような峰打ちをしたそうだな」 「あれはそんなではないと言ったのに。…違う」 それからしばらく、友人は、男の語ることにじっと耳を傾けた。 「なる…

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冬桜 十一の五・六 作・風間銀灰

友人が帰った後、男は、いつものようにとりとめなく考えに耽った。─確かに、甘いのかもしれぬ。死病を患っているということに、甘えてはいまいか。駄目な部分を見せても、愛想を尽かさぬ皆のためにも、何としても生きねばならぬのではないか。 それでも、胸の奥底に沈む虚無感が拭い去れなかった。皆の好意があり、自分がいくらこの世界を愛しても─ドウセオマエハ死ヌノダ─ただ生きること、それだけでこんなに疲れて…

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冬桜 十二の一 作・風間銀灰

申し合わせたように、翌日からまた木枯らしが吹き始めた。医師は男の容体を見て、少し顔を曇らせた。娘はまた看病にやってきた。男の友人の持ってきた火鉢の側で、縫いものをしたり、本を読んでやったりしていた。 娘は、本を読む以外はあまり喋らなくなった。自分が話すと、男が無理をして返事をすることに気が付いたからだった。熱で温くなった手拭いを替える度、彼女はまず自分の手を彼の額に這わせて、少しでも下が…

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冬桜 十二の二 作・風間銀灰

夜中にうとうとしては、咳や悪夢で目が覚めた。その度に、行灯を点けては、良作老人の遺した観音像を見つめた。 寿命は仏さまが決めるもんだ。─彼の口癖のように言っていた言葉。神か、仏か、何かは、俺の寿命をもうすぐと決めたのだろうか。未だにこの世に役立つことを何一つ成していない俺を。 俺はともかく、生まれて間もない赤ん坊、幼い子供たち、志半ばで力尽きる者たち、彼らの命を奪ってしまうのはいった…

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冬桜 十二の三 作・風間銀灰

今日も娘は男に、物語を読んで聞かせていた。子供に読ませるようなおとぎ話や、滑稽本などを選んでいたが、男は笑うでもなく、ただ静かに聞き入っていた。 しばらくして男は、読みかけている中途で止めさせた。いぶかしげな顔をする娘に、彼は力無く呟いた。 「みちさよ殿、ありがとう。…だがもう明日から書物はいらない。…俺は、俺は…もう笑えない…」 娘の目が見開き、唇が震えた。それを堪えて、彼女はわざ…

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冬桜 十二の三(続き)・四 作・風間銀灰

頬に降り注ぐ娘の涙がとても温かかった。男は、布団から手を伸ばした。白く細い指で、その止まらない涙を優しく拭った。濡れた彼女の顔も、とても温かかった。 「翔さま…」 娘は驚いて一瞬泣き止んだ。それから、微笑んで、男の手の上に自分の手を重ねた。 「みちさよ殿、俺は死にたくない…」 己の頬の上の白い指に、自分の指をからめて、娘は頷いた。 「死ぬのがとても怖いのだ」 からめた指に力を込め…

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冬桜 十二の五 作・風間銀灰

一人になって、男はまた観音像を見つめながら思った。このまま死んで、皆を悲しませるだけだとすると、俺はいったい何のために生まれてきたのだ。どうせ死ぬと決まっているのなら、何故生まれてくるのだ。神か仏か「何か」があらかじめ全ての運命や寿命を決めているとしたら、俺は何のために生まれてきたというのだ。何のために…。 この観音像を作った良作老人は、子を残し、職人としての技を残し、この像を残した。長い生…

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