冬桜 七の一 作・風間銀灰

いつからだったろう。男はまたぼんやりと、自己憎悪について考えていた。否、自己嫌悪はしたが、自己憎悪はしていない。だが、そういえばどうして彼女は俺が自己嫌悪していると…? ─翔さま、自分のこと嫌いなんだね─ 生きることを諦めていたせいか。そのような己への最大の侮辱が、そうなのか。それとも、自分が無用の存在と考えているからか。だが実際、病で何もできない若い男など、何の役に立つというのだ? …

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冬桜 七の二 作・風間銀灰

小春日和だった。そのためか、路地で幼い子供が何人か遊んでいた。わらべうたと共に体を動かしている様は、見ていてなかなか楽しかった。 理由はよくわからないが、彼自身はあのように遊んだ記憶はあまりなかった。兄と歳が離れていたせいかもしれない。 「うーらのきんぎょが一匹はーねた」 聞き慣れない歌を唄いながら、子供の一人がぴょんと跳ねた。にーひきはーねた、と言いながら、二人目も跳ねた。それから…

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冬桜 七の三 作・風間銀灰

家へ戻ると、友人が遊びに来ていた。 「今日は風車はくれないのか、仙十郎(せんじゅうろう)」 男の言葉に、友人は苦笑した。 「少しは元気になったようだな」 「体はな。…だが、一時しのぎだ」 すると彼は、ぎろりと目を光らせて言った。 「…何故、そう思うのだ」 男は、相手の顔をまともに見ることができずに、目を伏せた。 「治らねばならぬのはわかっている。…だが、生きている意味がわからぬの…

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冬桜 七の三(続き) 作・風間銀灰

みちさよ殿のようなことを言う、男は思った。友人はふっと笑って話を続けた。 「必要性など、普段は誰も意識しないからな。そんなことをつべこべ言う前に、とりあえず日々を送らねばならない。…おまえは病によって日常生活で立ち往生する羽目になった。それで、考えもしなかったことを考える機会ができてしまい、それ故に沈んでいる。…阿呆か。何故必要とされているかわからないだと?必要とするのに理由などいるものか。…

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冬桜 七の四・五 作・風間銀灰

友人が帰ってしばらくして、医師の孫娘がやってきた。 「翔さま、迎えに来たよ。うちで一緒にゴハン食べよっ」 何故かはわからないが、この娘も俺を好いてくれている。優しい娘だから、同情かもしれぬ。たまたま顔形が気に入ったからかもわからない。だが、そんなことはどうでもよいのだ。仙十郎の言葉でわかった。俺はただ、感謝してその好意を受ければいいのだ。 「みちさよ殿」男は娘に言った。「心配かけたな。……

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冬桜 八の一 作・風間銀灰

また少し熱が出たので、男は数日床に就いていた。日中に横になっていると、近所中の音が壁越しに聞こえてくる。それはけっして不快ではなかった。ものやわらかに聞こえてくるそれらの音は、人の息吹を感じさせ、彼の物悲しい気持ちを和らげた。 ようやく熱が下がった夕方、男は床から出てふと違和感を覚えた。いつもなら夕食の支度で賑やかなはずの長屋が、妙に静かだ。それなのに、壁や戸越しに、どこか慌ただしい空気…

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冬桜 八の二 作・風間銀灰

故人の家は、このような日特有の、騒がしさと厳かさが一体になっていた。近所中が集まっているようだ。男が焼香を済ますと、良作の息子がわざわざ礼を言いに出てきた。 「急は急なんですが、親父もじき八十でしたから、大往生ですよ。寿命は仏さまが決めるもんだ、って口癖のように言ってましたっけ。あ、仏さまといえば」 彼はちょっとお待ちください、と一旦奥に引っ込んだ。間もなく戻ってきて、一本の木切れを男に…

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冬桜 八の三 作・風間銀灰

帰宅して、座卓の上に早速乗せてみた。男は信心深い方ではなかったが、老人の気持ちが有難く身にしみた。 でも、男は思った。良作老人は、これを彫っているとき、完成させないまま死ぬとは思っていなかっただろう。 「寿命は仏さまが決めるもんだ、か…」 仏か神かは知らないが、寿命を決める「何か」は、人間の些細な事情など、まるで構っていないように思える。否、人間の生死そのものが、それにとっては、些細…

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冬桜 八の四 作・風間銀灰

しばらくして、医師の孫娘が薬を届けに来た。 「翔さま、遅くなってごめんね。良作さん家のお手伝いしてたの」 「いや、むしろ俺が取りに行くべきだったのに済まないな。熱が下がったから、今日行こうと思っていたのだが」 「またぶり返しちゃうでしょっ。…無理して良作さん家にも来てたでしょ、ちゃんと見てたんだから」 男は気付かなかったが、娘はどうやら台所かどこかに居たらしい。 「でも、翔さまならきっと…

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冬桜 八の五 作・風間銀灰

翌日、医師も訪ねてきた。 「どれ、熱も下がったようだな」 しかし、脈を診るために捲り上げた腕は、若い男らしい筋肉はあるものの、前よりも細く、蝋のように白く透き通っている。あまり良い兆候ではなかった。 「昨日良作老人のところに行ったそうだな」 男は黙って頷いた。 「儂も寄らせてもらった。…いい死に顔だったな」 「確かに」 「何故だかわかるか?」 問われて男はとまどった。 「え?それ…

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