冬桜 四の二 作・風間銀灰

少年を送り出して、ふと木戸の横を見ると、医師の孫娘が立っていた。どうやら今のやりとりを聞いていたらしい。 「ごめんなさい。お客様なら帰ろう、って思ってたんだけど、ついつい聞いちゃった」 「みちさよ殿…。どうして…」 「お菓子のお裾分けに来たの」 菓子とは、甘そうな干柿だった。去っていく少年の後ろ姿を見ながら、娘は呟いた。 「あの子、うちのじっちゃに失礼だよね。自分が医師になるま…

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冬桜 四の三・四 作・風間銀灰

娘は、歩きながら、ときどき嬉しそうに男の顔を見た。 「何か?」 男は尋ねた。 「翔さまが男前だから、一緒に歩いているのが自慢なの」 娘がさらりと答えたので、男の方がとまどった。口調があまりに無邪気だったので、蓮っ葉な感じはなかった。 「ならば役者にでも生まれればよかったな。生憎武士には意味がない」 男は冗談めかして答えた。実際のところ、自分の顔を意識したことはあまりな…

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冬桜 五の一 作・風間銀灰

故郷から手紙が来た。主に兄からだったが、母の言葉も書いてあった。健康を害したと聞いたが、重いのか軽いのか、帰ってきて家で養生したらどうか、もしくはこちらから人を送ろうか、等々書いてあった。とにかく、江戸で野垂れ死にしたとあっては、家の名折れになるので、様子を報せよとのことだった。 昔から直截的な言い方をする母だった。以前はそのような言葉に心を傷めたものだが、離れて暮らしていると、本音と…

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冬桜 五の二 作・風間銀灰

たった一通の手紙を書いただけで、ひどく気怠かった。そして、ぼんやりと母のことを思った。彼にとっての母は、いつもきりりとしていて、端正な顔立ちをいくぶん強ばらせた、蒼白い顔の女だった。およそ母という言葉から連想される柔らかさとは無縁だった。 かと言って別に冷たいひとというわけではない。例えるなら、女人がたおやかな柳だとすると、彼女はたおやかさなど全く無縁な、まっすぐ伸びた青竹なのだった。…

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冬桜 五の三・四 作・風間銀灰

男はまた、兄のことも考えた。自分より五つ年上で、武術も学問にも秀でた兄。何より、頑健な体で、逆縁を決してしないであろう、孝の見本のような兄。 しかも、弟のことを可愛がってくれた。父亡き後、文字を読むことを教えてくれたのは兄だった。彼がいなかったら、書を読む楽しさに気付かなかったかもしれない。 兄は悲しむだろうか。考えても詮なきことを考えた。だが、兄には妻と、昨年生まれた男の子がい…

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冬桜 六の一 作・風間銀灰

男が翌日医師の家に行くと、孫娘が一人で留守番をしていた。医師は、往診に行ったとのことだった。 「お構いはできないけど、待っててね」 娘は言って、綱に洗濯したものを通して吊るし始めた。男は縁側に座ってぼんやりと見ていて、娘の細い指先が赤くなっていることに気付いた。そうだ、もう冬なのだ。 「手伝おうか」 男の申し出に、娘は笑った。 「病気で薬もらいに来た人がお手伝いするなんて。それに、男…

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冬桜 六の一(続き) 作・風間銀灰

娘は、きりっとした目で男を見上げた。 「じっちゃはね、私にみちって付けたかったの。でもね」ここで彼女は笑って、「ととさまはさよって付けたかったの。だから、どっちかだけで呼んじゃいけないの」 娘は笑っていたが、男は、彼女が真剣なこと、そして祖父と父両方を大切に思っていることを知った。確か、この娘は両親を流行り病で亡くしていた。この名はいわば父の形見でもあるのだ。 「…ではみちさよ殿の母上は…

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冬桜 六の二・三 作・風間銀灰

明日からは、ここへ来るのは止めようと思った。 「翔さま…?」 男の沈んだ様子に気付いて、娘が心配そうに覗きこんだ。そこへ、医師が帰ってきた。 男は、これほどほっとしたことはなかった。 久方振りに熱が出た。微熱はいつものことだったが、起き上がれないほどになるのは、男の気分を滅入らせた。隣家の女房が、この有り様を見かねて医師を呼んできた。 医師は診終えると、少し叱りつけるように…

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冬桜 六の四・五 作・風間銀灰

半時ほどして、何の前触れもなしに医師の孫娘がやってきた。布に包んだ鉢のような物を持って、いくぶん唇を引き締めて。 男は驚いて、思わず床から身を起こした。考えてみれば、こちらが行かないと勝手に心に決めただけで、先方が来るのは充分あり得るのだった。 「寝てなきゃ駄目」 そう言うと、娘はそっと男の肩を押して横たわらせた。 「翔さまちゃんと休まないから、私が今日からお世話することにしたの」 …

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冬桜 六の五(続き)・六 作・風間銀灰

「もちろん冗談だけど」娘はうつむいた。「私、まだ子供だし、お転婆だし、美人じゃないし。…でも、翔さまのお世話はできると思うな。…どんな綺麗な女のひとより、大事に面倒見るんだから。それでは、いけない?」 男もまた、うつむいた。 「君は綺麗だし、もう子供じゃない。…だから、だから帰ってくれ」 男の低い、切なげな声に、娘は、はっと顔を上げた。表情から、少し憂いが消えた。 「翔さま、私のこと嫌い…

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