冬桜 二の二~四 作・風間銀灰

男は休憩を終えて伸びをすると、また歩き出した。今日中に無事友人のところに着けるだろう。風は暖かく、春の日は長い。景色を楽しむゆとりもあった。
そして彼は見たのだ。隅田川沿いに、桜が眩しいばかりに花開いているのを。
木の下に寄ると、男は、日の光をはじいて白く輝く花と、少しのぞく青い葉と、若々しくつやのある枝とを見上げた。花をこのように長く見つめるのは、子供のとき以来だった。これからは、花を愛でるという無駄なことに時を費やしても、咎める者はいないのだ。
男の顔にまた微笑が浮かんだ。寺参りの帰りらしい娘たちが、そんな男と、桜とを、眩しそうに見やって通り過ぎていった。
のんびりしていたので、友人宅に着いたのは夕方になった。
「翔、よく来たな」
昔そのままの口調で友は男を迎え、こうして彼は、江戸の住人の一人になった。

それからは毎日が楽しかった。まっすぐな少年たち、夜が更けるのも忘れて友人たちと交わす議論、次々出てくる新作の書物、そして寝食を忘れて自らも執った筆。
楽しかった。─楽しすぎたのだ。叱る者のない生活は、少しずつ彼の体を蝕んでいった。道に外れたことをしてはいなかったが、集中すると我を忘れる性格が災いした。
そして…。寺子屋の教え子の一人が胸を患った。男は、読本や滑稽本などを持って、よく見舞いに行った。病に苦しむ少年は、それでも見舞いが来ると、目を輝かせて喜んだ。
少年は助かった。だが、やがて男は、病が自分の胸に棲みついたことを知った。後悔はなかったが、身体の衰えと共に、あれほど楽しかった日々が陰鬱なものになってきた。

たった三年前だったのだ、あの桜は。だが現在の彼には、ひどく昔のことのように思われるのだった。
~続く~

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