冬桜 一の二・三 作・風間銀灰

医師は、厳つい顔の中老の男で、病になる以前からの知り合いだった。十二、三くらいの孫娘と二人で暮らしている。腕は確かで、患者からの評判も悪くなかった。だが、その腕でも、絶望している男を治癒するのは困難だった。
診るのを終えると、医師はただひとこと、こう言った。
「夕飯を食ってゆけ」
飯はうまかった。いや、うまいのだろう、と言うべきか。食欲がなかった。それでも男がやっと一膳食べたのは、医師の孫娘が、幼い手で懸命に作り、給仕してくれたからだった。医師は、そんな様子を見て取って、言った。
「時々来るといい。この娘は、客が来ると張り切って飯を作るからな」
「じっちゃ、ひどいよっ。いつもちゃんとやってるよっ」
愛らしく頬をふくらます娘を見て、男は微笑んだ。娘の、歳のわりに無邪気なところが好ましかった。
「そう、そんな風に笑え。笑いは薬になるからな」
医師は呟いて、酒をくいとあおった。

医師の家を出る頃には、いやな風は止んでいた。男は、落ち葉を避けるようにして歩き始めた。あの乾いた音を、聞きたくなかった。
半町ばかり歩いた頃、医師の孫娘の声が聞こえた。
「翔(かける)さま、かけるさまーっ」
男は、自分の名前を呼ばれて、立ち止まった。娘はすぐに追い付いて、包みを差し出した。
「翔さま、お薬忘れちゃ駄目」
言われて男は、薬のことを完全に失念していた事に気付いた。
礼を言って、包みを受け取ろうと手を伸ばしたとき、彼の腕が少し袖からのぞいた。その腕が、あまりに白くて細かったので、娘はとても悲しそうな顔をした。大きな黒い目から涙が落ちそうになったので、彼女は急いで背を向けて、家に向かって駆け出した。
「薬、ちゃんと飲んでっ」と言葉を残して。
あまりに早く走り去ったので、男は、娘の悲しそうな顔に気が付かなかった。
~続く~

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック