オルレアンから来た少女 一章-1

一章 スプリングコートの女


我々は神からお告げを賜った。この世界から消し去りなさい。人間の皮を被った汚れた獣たちを。…と。

私はあくびをかみ殺した。新緑の季節、連休ボケで、私も、そして学生どももいまいち集中力に欠けた雰囲気になっている。新学期の緊張感も、授業選択のどたばたも落ち着き、ちょうど皆の気が緩む時期なのだ。もちろんその一方で五月病の危険もある季節なのだが。
とりあえず自己紹介をしよう。私は首都圏某県某私立大学で名ばかりの准教授をやっている、ごく普通(のつもりだ)の中年男である。普通でない点と言えば、若くて美人の妻がいることと、何故か事件に巻き込まれてしまうことが度々あることくらいだ。
本来なら英文学を講義するだけの平凡な人生に、しばしば平凡とは言い難い出来事が起こってしまうようになったきっかけは、シャレで開講した「クラシックミステリ史」という授業のせいだ。
そう、その授業のせいで、ミステリマニアの個性的すぎる学生たちが集まってしまい、ある意味その連中のせいで殺人事件やら盗難事件やら、挙げ句の果てには怪盗の知り合いまでできてしまった。そして妻がたまたま有能な編集者であったおかげで、それらの顛末をうっかり文章にしてしまったため、いつの間にやら素人探偵の仲間入りをさせられてしまって現在に至る。
まったく何が悲しくて善良な一般市民が、銃で脅されてみたり、幽霊退治?をしてみたり、パンダのぬいぐるみで命拾いしたりしなければならないのであろうか。何故パンダのぬいぐるみで命拾いできたかを知りたい方は、拙著「白蝋館殺人事件」を読んで頂きたい。…申し訳ない、宣伝である。
私は再びあくびをかみ殺した。今はちょうどその「クラシックミステリ史」の授業中なのだが、今日のテーマをうっかり「シャーロック・ホームズはどれくらい強かったのか」にしてしまったため、私よりもずっと詳しい学生どうしが、自説を出して論争を始めたのだ。
私にとって、ホームズとワトソンどちらが強かったのかなど、はっきり言ってどうでもいい問題だったので、あくびをかみ殺すハメになったという訳である。どっちが強くてもいいではないか。名コンビなのだから。
議論者どうしは白熱していたが、そこまでマニアックでなかったり、単位目当てだったりする学生たちは、私同様ダレた空気を出していた。
「だからあ、ワトソンは元軍人っスよ。化学者のホームズとはそもそも基本が違うッス」
「でもホームズが武闘派であり、怪力の持ち主であったことは、周知の事実ですことよ」
「じゃなんでホームズは、ボディガード的役割をよくワトソンに押し付けるっスか」
「自分が手を下す間でもないからですわ」
とうとうたまりかねて、私は議論者二人に割って入った。
「わかったわかった、続きは放課後にやってくれ。みんなが居眠りしてしまう」
「でもセンセーの講義も充分催眠効果あるっスよ」
それは薄々気付いているので、言わないでほしかった。こうして今日も、傷心を抱きつつ授業を終え、コーヒーを飲みに学食の隅の席へと向かったのであった。
続く

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